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メッセージリレー#3 今の世に伝わったというのも熊本の力!

くまもと文化財プロジェクトの田中寿雄です。
一昨日、とてもショックな事が有った、首里城の消失です。早朝に近くの禅寺に坐禅に行っていて帰ったら家人から「ニュース見た?」と‥。それで首里城が燃えているのを知った。

文化財、特に素材が木や紙などは焼失で燃えるのは古来日本の常。火災や戦災、ちょっとした不注意も有れば人がワザと火をつけたであろう火事で、これまで色んな文化財も消えたであろう。私個人的な意見ですが、日本人と言うのはある意味、消えいくものに寛容?じゃないかと勝手に思っている。忘れるのが速いというか、無くなる物へのこだわりが少ない・すぐ忘れる・的なDNAが流れているんじゃないかとね。また外国人から「これは凄い」とか言われると急に注目しだすのも日本人では有るが‥。

ただ、精神的な意味での沖縄の象徴である首里城、実際の建築は昭和なのでしょうが、ニュースで見ていると、かなり沖縄の人の心に入っていたのでしょう。その悲しみがこちらまで伝わってきました。熊本城が土ぼこりを上げながら崩れかける姿と似ていましたね。そういう意味でも、重要文化財「細川家・波奈之丸舟屋形」は、長い年月を経て奇跡的にも全容を整えている数少ない、世界に誇れる物だと思う、火事や被災もですが全体が散逸分散せず今の世に伝わった、というのも熊本の力ではないかと‥。

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今やその天井画は近くで鑑賞することは出来ないが、今回の実物と同じ天然顔料や金箔で完全復元して、一般に展示公開できるのはとてもいい機会だと思う。こんな時だからこそ重要だと、熊本の宝を見て感じて体感する事ができるんじゃないかと‥。そして、熊本の殿様が参勤交代時に使った船に乗ったような感じで迫力の171枚もの天井画の下で抹茶でも飲みたいものです。

この数年、日本画は自然と同化して描くもんだ、と実感しています。天然素材である緑青などはその日の気温や湿度で色つやも変化しますし、岩絵具は「色を乗せる感覚で」って感じが新鮮でしたね。その最初に描いたのが「細川家波奈之丸舟屋形」天井画の椿の絵でした。その作品は、もともと時計だった木枠を額縁代わりにして、今でも私の職場の天井に飾っています。

青海波の跡

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5年前まで自宅兼アトリエとして暮らしていた屋敷には、大きな楠があり、春先にはたくさんの落ち葉を道に落としていました。門から20メートル程ある土塀の前をいつも竹箒で掃いていましたが、時間もかかるので箒の柄を長く持ち、速いスピードで力ずくで大まかにやるのが自分のやり方でした。

しかし、ある日帰宅すると、土塀の前の道にキラキラした清々しさを感じました。よく見ると、道に誰かが箒で掃いた跡が‥。それはゆっくりと柔らかに掃かれ、それがいくつも美しく扇形となって続いていたのでした。それは道に描かれた青海波の文様のようでした。

すぐにピンときました!それは隣のおばあちゃんでした。その日の朝、隣に住んでいる高齢のおばあちゃんを病院へ送り迎えをしたので、お礼の気持ちもあって、手足の不自由な身体ながら、私の家の前まで掃除してくれたのでした。これこそが芸術!意図もせず生まれた作品!これこそ理想のもののように感じました。

“芸術”は、もともと日本人の持ち合わせていなかった概念なのではないでしょうか。今一度、芸術という言葉を日本人の感覚で、腑に落ちるものとして捉えなおす必要があるのではないかと思っています。

 

浮島館アトリエの庭から

IMG 1772アトリエの入口のお地蔵さん。早朝、柄杓で蹲の水を頭からかけてやったら、たまたま紛れ込んでいた一枚の葉っぱが、水と一緒にお地蔵さんの頭から流れ落ちて、合わせた手のところで貼りついて止まった。そこにちょうど朝日が射してきた。

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昨年、お茶の先生から頂いた鈴虫花が、やっとこの季節になって涼やかに花開いた。鈴虫花は、鈴虫の鳴く頃に咲くことから名付けられたとか。鈴虫草とは別種。
 

復元用天井板”御座の間90枚分”の杉板の寄付!頂きました(T T)

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㈱佐藤林業様より、波奈之丸天井画復元プロジェクトに御座の間90枚分の天井板の寄付を頂きました!佐藤社長が、天井画の復元用にと、木目の詰まった立派な吉野杉を探してきてくれました。この吉野杉は奈良県川上村の高原地区で切り出されたそうで、そこは社長の奥様のご先祖様縁の地区ということです。

天井画においては、基底材となる杉板の質が作品の出来を大きく左右します。原木の魂がそのまま板に宿り、その力に作品が助けられたことが、私の経験でこれまで多々ありました。まだスタートしたばかりで一筆も描いていませんが、そのような板が手に入ったということは、復元の成功が約束されたような気がしました。佐藤社長に大感謝です!